リスボン綴り

リスボンでの大学生活を綴っていこうかと思ってます。

論座

ちょっと紹介したい論文があります。
昨年『論座』で話題になったものです。

タイトルは、
『「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争』
赤木智弘,論座,朝日新聞社,2007,1月号,p53-59
です。

読んでない方は、是非一度読んで意見を聞かせてほしいのですが、
僕が大まかに要約すると,

経済成長世代とポストバブル世代には大きな差がある。
バブル後に働かざるを得なかった者たち(ポストバブル世代)にとって、
就職は狭き門であり、職業訓練などは受ける機会さえなかった。
そういった彼らに残された道は、非正規雇用の道しか無い。
企業側は、高齢者の継続雇用制度は導入するのに、
新卒でない若者を受ける取り組みをほとんど行っていない。
この仕組みは、経済成長世代の利益だけを守ろうとし,
ポストバブル世代はその利益にありつけないという社会の硬直化を意味する。
こういった社会の硬直化を打破するためには、戦争が有効である。
戦争は社会を流動化する。
そして、丸山が徴兵され、中学にも進んでいない一等兵にいじめ抜かれた事を、
引き合いに出して、自分も戦争に行ってエリートである丸山をひっぱたきたい、

と、赤木さんは述べています。

そして、この論文が重要なのは、
その後左翼知識人が論座,4月号でこの論文への応答文を書いている事です。
ただし、この議論はその後も続き、6月号でまた赤木さんが応答文への応答文を書き、7月号で萱野さんがそれらの応答に関する文章を書いています。

この議論で重要なのは、
左翼知識人達の全く的外れな赤木さんの論文への応答にあります。
赤木さんは1月号の最後に、自分だってできれば戦争なんかしたくないが、
平和の名の下に、経済成長世代の利益を守る構造の社会よりは、
それを変えてくれる戦争の方がよっぽどましだと言っているのです。

にも拘らず、左翼知識人達は、
戦争は悲惨だ、戦争はいけない、努力が足りない、
といった事しか言えませんでした。

例え、戦争が良くないと言ったところで、
では他に社会を変える方法はあるのか、となりますし、
努力が足りないと言ったところで,
努力の可能性を奪ってきたのは社会じゃないのか、となります。

赤木さんの意見に対して、何か言う事が可能なのか、
僕にはその糸口が見いだせません。

それをうまく説明したのが、萱野さんの論文で、
赤木さんと左翼知識人の認識のズレを問題として、
そのズレの構造を解き明かしています。

萱野さんは、

今の若者が国家によってその存在を価値づけられることに共感しやすい状況に対して、左翼知識人達が、ただ国家を否定することでしか対応できずに、国家の可能性を見過ごしていることを、ナショナリズム以前への退行だ、

と、断罪しています。

これはつまり、左翼知識人達が60,70年代以降、思考停止状態に陥っており、
1990年以降社会は大きく変化したにも拘らず、
その変化に目を向けてこなかった、もしくは向けてきたとしても、
思考を深めようとはしなかった、ということです。
だから、ズレがおこる。

ただ、僕が問題にしたいのは、赤木さんの論文です。
赤木さんの論について、何かいうことはできないのか、と考えあぐねてしまいます。やはり、戦争は。。。、と、思ってしまう自分は間違いなのか?
確かに、萱野さんの「唯一の暴力独占体としての国家の承認」という考え方は、
一つのあり方だと思います。しかし。。。

と、まあ非常に難しい問題なのですが、
是非一度この論文に目を通して、意見聞かせてください。

久々のブログ再開が重い内容ですいません。










  1. 2008/02/01(金) 15:08:07|
  2. しゃかい
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:5
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コメント

ukさんの要約しか読めない状況なので、的外れかもしれませんが、感想を少し。
赤木さんの論文はとても現代的ですね。

>>
こういった社会の硬直化を打破するためには、戦争が有効である。戦争は社会を流動化する。
<<
社会の硬直化を問題視し、もの申し、しかも、格差社会という設けられたトリックを否定し、その流動化を希求している態度に、共感しました。
しかし、硬直化の打破の手法が戦争というのはあまりクリエイティビティーが感じられませんね。戦争なんて人類史始まって以来の古い技術ですから。ポレミックな態度としては成功していますけれども。おそらく、左派知識人の応答が的外れなのも、彼らに流動化の具体策のもちあわせがないからでしょうが。

「戦争」は、他国、他コミュニティーに対する戦争として論じられているのでしょうか。赤木さんの論旨からいえば、「内戦」でもよい気がするのですが、それでは赤木さんが論敵とする戦後左翼の「運動」と近似してしまうので、避けているのでしょうね。しかし、赤木さんはおそらく日本社会の流動化を目指しているのだと思いますので、それならば闇雲にリスクのおおきい対外戦争よりも、内戦の方が現実的な気がします。赤木さんはより派手なものを志向する傾向があるのではないでしょうか。

私が感じる赤木さんの論文のもつ現代性は、「小さな物語」に対する反動という一点に尽きます。「小さな物語」を理想とする言説もまた、社会の流動性を目指すものですが、「戦争=大きな物語」のようなドラマチックさがない。実際に効果があるかどうかも、なかなか目に見えない。赤木さんは、おそらくドラマチックで、ダイナミックな流動化の手法として戦争を掲げているのではないでしょうか。
小さな物語に対する反動は、現代多くの文脈で見出されます。例えば、安藤忠雄さんの近年のプロジェクトなどは、他分野におけるこのような反動の典型といえると思います。左派知識人が的外れな応答を繰り返す理由は、「大きな物語」を掲げた赤木さんに、切り返す「大きな物語」を彼らがもちあわせていないからではないでしょう。スケールが異なる以上、「大きな物語」を「小さな物語」が論駁することはできません。しかし、「大きな物語」を再び思い描くよりも、「小さな物語」を遂行する方が、より現実的であり、現代的だと私は思います。反動的態度は結局のところ反動にすぎず、新しい局面を切り開くことはないと思います。
31歳フリーターの中には、ネット上でコミュニティをつくりだし、社会の硬直化を無効にしている人がたくさんいます。彼らの営為は戦争のように英雄的ではありませんが、よりよい未来に近づく「小さな物語」たちなのではないかと思います。

ちなみに、「唯一の暴力独占体としての国家の承認」という概念は、おそらく直接的にヴァルター・ベンヤミンの「暴力批判論」を参照しています。興味があれば、呼んでみられたらいかがでしょうか。
  1. 2008/02/03(日) 03:43:23 |
  2. URL |
  3. im #7qO75.9Y
  4. [ 編集]

>im

コメントありがとう。
「戦争」という問題に対する、現代の明快な状況説明非常に為になりました。
ベンヤミンも読んでみようと思います。

ただ、2,3気になった点があります。基本的には、僕の言葉足らずが招いた問題だったと思います。

まず、
1.「内戦」ではいけない理由
「内戦」の場合、国内における対立の構図が固定してしまうのではないか、と思います。
対立の構図の中の一部は流動化するけれども、学生運動のような「内戦」がイメージされている場合、「知識人」「国家」vs「学生」「若者」という構図はくずれません。
いくら「知識人」をひっぱたけても、それは構図を前提に成り立っているので、あまり赤木さんの望んでいるものにはならない気がします。

2.アイデンティティの問題
これはおそらく僕が赤木さんの論文6月号を読んでおらず、7月号の萱野さんの論文しか読んでいないのであまりちゃんと語れないのですが,おそらく赤木さんの主旨は「戦争」ではなく、「アイデンティティ」の承認にあったということです。
 
6月号で赤木さんは、
「右派の思想では、フリーターである自分も、『日本人の31歳の男性』として、在日の人や女性、年下の連中よりも敬われる立場に立てる」
と、非常に危険ではありますが、切実な感情を吐露しています。

これは、アイデンティティを承認してくれるものが何かということになりますが、そのために赤木さんはナショナリズムを呼び出しているのです。だから、それを「戦争」の問題と捉えてしまった点に左翼知識人のズレがあるのだと思われます。(ただ、赤木さんは“ふっかける”ために「戦争」という言葉を用いた気がしますが。)

おそらくこの論を「戦争」の問題として「大きな物語」と「小さな物語」という風にわけて捉えれば、imさんの論はまさしくその通りだと思います。
*「小さな物語」例えばネット上のコミュニティが社会の硬直化を無効にするというのは疑問ですが。

とりあえず、今度ベンヤミン読んでみようと思います。
論文の話も聞かせてね。



  1. 2008/02/03(日) 14:42:09 |
  2. URL |
  3. uk #-
  4. [ 編集]

一点だけ応答。
>>ネット上のコミュニティが社会の硬直化を無効にするというのは疑問ですが。
ま、小さな物語ですから、具体的に目に見えるかはわかりません。
ただ、ネットでの動き-ブロガー、2ちゃんねらー、you tube、mixi、etc.etc.は、
よく言われているよりもずっと創造的で、おもしろいものだと思います。
僕が興味を抱くのは、そこには集団的な善の意志が働いているように見えることです。
アイデンティティの問題を問うのならば、そこにはより重要性が見出せるでしょう。
仮想と現実のどちらに重点をおくか、そのバランスは揺らいでいると思います。


  1. 2008/02/03(日) 20:46:07 |
  2. URL |
  3. im #-
  4. [ 編集]

P.S.

赤木さんの論文は彼のHP上で読めるようですね。いわゆるネットウヨクってやつでしょうか。
アカデミックな観点からみれば、赤木さんはすでに丸山をひっぱたいたようなもんですね。
  1. 2008/02/03(日) 21:01:03 |
  2. URL |
  3. im #-
  4. [ 編集]

そうかあ

いやあネット上のコミュニティに関しては、僕はやはり疑問に思っちゃうんですよ。面白いと思うけどさ。論文書いてるときとか、youtubeにはまり過ぎたし。

赤木さんは本も出したから、フリーターから抜け出しちゃったりするのかな?今後の発言の変化とかが気になりますね。
  1. 2008/02/03(日) 23:21:18 |
  2. URL |
  3. uk #-
  4. [ 編集]

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